九の道で実現した事 30 んめ(ウメ)の巻③ 2024年6月3日現在

九の道で実現した事

んめ(ウメ)の巻の③です。

もう、間もなく、旧五月五日(6月10日)を迎える直前ですが、そこまでに、三ラの巻まで進めていきます。

直近では、5月31日に熊本、6月1日に四国、更には6月3日に石川と、地震がありましたが、あまり猶予がない処に来ています。

岩戸も開いており、今現在、ここまでも、大きな変化を起こしている方は沢山いると思いますが、
この後、2024年6月10日より、愈々、進む事になっていきます。

御神示にもあります通り、この後、世明け、開くと思っていても、実際には行き詰ってきます。その中で、行を進めていかない事には、いずれにしても、苦しむ我の道と進んでしまいます。遅れる程に苦しくなる事は、ここまで何度も伝えてきた通りです。

直近、やはり、私も急激な動き、更には嬉しきビックリもありましたが、愈々に向けての動き、という事が現れてゐる感じです。更に、この後、6月10を過ぎ、7~8月にかけて、大きな動きが起こっていくと見ています。

その現れは、行を進めている方なら、御神示にも現れていくようになっていきます。

御神示のマンデラ・エフェクトも中々、結構に進んでいます。
御神示の、マンデラ・エフェクトが、御自身の行の進捗を示しているのです。

それでは、引き続き、んめ(ウメ)の巻をお伝えしていきます。

目次

1.んめ(ウメ)の巻③ 実現したもの 2024年6月3日現在

Ⅰ.やりたいだけやってみて、性来だけの事しか出来ないと、神にすがらなならんと判れば、今度こそはまこと神にすがって下さい

第二十帖
よくもまあ鼻高ばかりになったものぢゃなあ、四足(よつあし)と天狗ばかりぢゃ、まあまあやりたいだけやりて見なされ、神は何もかもみな調べぬいて仕組みてあるのぢゃから、性来だけの事しか出来んから、愈々となりて神にすがらなならんと云ふ事判りたら、今度こそはまこと神にすがれよ、今度 神にすがること出来んなれば万劫末代 浮ばれんぞ。

折る鼻無い位鼻を折っても、まだ折られる事はこれまで、沢山ありました。
結構、気付かない内の、鼻高はあるものなのです。

四つ足(よつあし)と天狗ばかり、というのも、行が進み、段階が進む程に、体感していきます。

そして、最後まで改心が中々難しいのも判ってきます。
特に獣(ケダモノ)の御自身、の浄化は、生涯かかってもよいから、とある位、簡単でない事が分かってきます。

ですから、愈々となりて、神様にすがらなならんと云ふ事判りましたら、今度こそは、まことに神様にすがってください。これは、行を進めていく以外、判らないです。

今度、神様にすがること出来んなれば、万劫末代 浮かばれん。

とありますが、人の我、は、そう簡単に、神様にすがること、ってできないようになっているのです。

いざとなってから、ようやくすがれるかもしれませんが、何度も御伝えしてきた通り、その時では手遅れ、なのです。

それは、周囲の現れからもよく分かるかと思います。

Ⅱ.したいこと、やりて見て得心行く迄、やりて見て、改心早う結構です

第二十帖
したいことをやりて見て得心行く迄やりて見て改心早う結構ぞ。

したいことをやりて見ないと、実際、この得心できないものです。

その得心行く迄、やりて見て、改心早う進めて下さい。

まず、は行動を起こす事。が何よりも重要です。

そして、御神示で沢山出て来る単語は、改心、です。
改心が、テーマ、と言っても良い位なのです。
それは、体験無しでは、確かに判らないもの、沢山あるのです。

ですから、改心を次々に進めていって下さい。

改心にも、様々ある事が分かってきます。

Ⅲ.足場は、ミロクの世のやり方の型出しから始まります

第二十帖
ミロクの世のやり方 型出して下されよ、一人でも二人でもよいぞ、足場早うつくれと申してある事忘れたのか。尾振る犬を打つ人民あるまいがな、ついて来る人民殺す神はないぞ、ミロク様が月の大神様。

ミロクの世のやり方 は、型出しから始まっていきます。

一人でも、二人でもよいのです。
いずれ、二人になったり、道中、一人の時もあります。

足場早うつくれと申してある事忘れたのか。
とありますが、足場は、型出しから始まるのです。

尾振る犬を打つ人民は無いのと同じく、ついて来る人民、殺す神様はありません。

ですから、神様に付いて行って下さい。

ミロク様が、月(二)(次)の大神様です。

Ⅳ.身欲信心、スコタンばかり、の体験をしていきます

第二十一帖
身欲信心スコタン許り、天津日嗣の御位は幾千代かけて変らんぞ、日の大神様、月の大神様、地(くに)の大神様、御血統(おんちすじ)弥栄々々ぞ。

身欲信心、スコタンばかり、というのも、体験していく事になります。
まずは、この事からの改心が初めに続きます。
同時に、囚われの改心もかなり求められるでしょう。

天津日嗣の御位は幾千代かけて変らん、ようです。
日の大神様、月の大神様、地(くに)の大神様、御血統(おんちすじ)弥栄々々ぞ。
とありますが、

此の三つの大神様が、御三体の大神様ですし、天津日嗣の御位も、日の大神様、月の大神様、地(くに)の大神様、と関係している、という事です。

天津日嗣皇尊大神様は、是非とも、毎日祀ってください。
(私は、神々様を読み上げる時には、第一に読み上げています)

Ⅴ.神示、ひふみ、となります。御神示のマンデラ・エフェクト、です

第二十一帖
日本の人民アフンとするぞ、皆それぞれのゆかりの集団(まどゐ)に入れよ、神示ひふみとなるぞ、天明は画家となれ、絵描いて皆にやれよ、弥栄となるぞ、やさかいやさか。

日本の人民、アフン、とするぞ、とありますが、これは、マンデラ・エフェクトもあると見てゐます。

アフン(一一、二、ん)ですから、永劫の過去から産み出される、という事でもあります。ですから、書き換えが起こっていく、という事がまずありますし、既にここまででも起こってゐます。

やがて、皆それぞれのゆかりの集団(まどゐ)に入る事となります。

更には、御神示、ひふみ、となります。次々産み出されていくのです。
御神示も、マンデラ・エフェクト状態になっていきます。

この流れ、が出来ていましたら、順調です。

天明は画家となれ、とありますが、我家、我の改心を進めていく家、なら、経験してきていますが、画家なら、私の場合、まだこれからです。

絵描いて皆にやれよ、とありますが、得、描いて、皆にやれよ、であれば、徐々に実現してきています。
但し、絵を描く段階なら、まだこれからです。

確かに、そうなる事で、弥栄となり、いやさか、いやさか、になります。

この文面は、画家が、我家。絵を、得、とするなら、既に実現済みのところあるのですが、本当に、この後、画家になったり、絵描いて、皆にやる段階が来るかもしれません。

Ⅵ.一年と半年と半年と一年、拝むだけでなく、御用し、更には改心進めて下さい

第二十三帖
これから三年の苦労ぢゃ、一年と半年と半年と一年ぢゃ。手合はして拝むだけでは何にもならんぞ、拝むとは御用することざぞ、形体(かたち)だけ出来ても何にもならんぞ、拝まないのは猶(なお)よくないぞ、神に遠ざかることぢゃ。

此の道一本に進み、三年経過して、最初程しんどい思いをしました。

それは、手合はして、拝むだけでは何もならないのです。
御用をしていく事。が重要であり、それは、行じ、省みる事、です。
五人分の行をする段階になってきますと、徐々に判ってきます。

形だけできても何もならないようになっています。

拝まないのは、なお、よくなく、神様から遠ざかります。

こ(九)れから、三年の苦労ですから、先ず、此(九)の道一本に絞っていく事が求められます。
まず、は九の行を進めて行き、五人分を超えて下さい。

Ⅶ.此(九)の道、ちっとも心許せん、キツイやさしい道です

第二十三帖
此の道、ちっとも心許せんキツイやさしい道ぞ、泰平の嬉し嬉しの道ざが、何時も剣の上に下に居る心構へ結構ぞ。

此(九)の道、ちっとも心許せんのですが、キツイやさしい道です。

経験していきますと、判ってきます。
油断している、慢心している御自身とは向き合っていく事なり、改心を進めていく事が求められます。

怒り、は慢心、である事も判ってきます。
これは、行じ、体験していく以外、判らないですし、解決策も判らないようになっています。

そして、悪を悪でなくす、苦を苦でなくす、泰平の嬉し嬉しの道なのです。

合わせて重要なのが、いつも、剣の上に下に居る心構えが重要です。

以前は、剣の上、だけだったと見てゐますが、今では、剣の下、という内容も含まれるマンデラ・エフェクト、が起こってゐると見てゐます。

上、も、下、も剣に居る、心構えが求められます。

Ⅷ.神様のそばに引き寄せても、実地に見せても、中々改心致さん臣民ばかりです

第二十五帖
神のそばに引き寄せても、実地に見せても、我が強いから中々に改心致さん臣民ばかり、少しは神の心察して見るがよいぞ。

神のそばに引き寄せても、実地に見せても、我、が強いから、中々に改心致さん臣民ばかり、です。

これは、自身も経験してきましたし、周囲の方々見てても同じ、です。
中々、改心進まず、どうしても、人の我、基軸、です。

少しは、神様の心察して見るがよいぞ。とありますが、神様の心をご理解下さい。
我、基軸で動く人々、を助け続けるのも、後始末ばかりするのも、大変です。

神様の側として、行じていく事は、此の道一本に絞って行じていきますと、後始末の経験を次々していきますから、此の道の事が分かってきます。

今、できる最善は、行じ省みると、常に変わっていきますし、常により良くなっていきますので、できるところから進めて行って下さい。

Ⅸ.気の毒出来ますから、守護神様、早うまつりて下さい

第二十五帖
気の毒出来るから、少しは神の身にもなってみるものぢゃ、此の儘では気の毒なことになるから、早う守護神、節分迄に早う祀りくれよ、何事もキリキリキリと云ふ事あるぞ。世治めるは 九(こ)の花咲耶姫様なり。

神様の心、察する事もないようですと、気の毒出来るようです。

ですから、少しは神様の身にもなってみるものぢゃ、と伝えられています。
実際、この意識をお持ちの方が中々いません。
御自身は神様、という事が自覚あってもです。

此の儘では、気の毒なことになるから、早う守護神、節分迄に早うまつりくれよ、とあります。

節分までとはありますが、まだの方は、今すぐにでも大丈夫です。
何より、この後、旧五月五日から、更に進んで行きますから、早う、まつりて下さい。
更にはこの後、二十一巻、三ラ(ソラ)の巻、では、旧五月五日からの事を伝えていますから、今すぐにでも始めて下さい。

守護神様、も、生前から騙されていますので、まつる行も、時間がかかるのです。
ですから、今すぐ、なのです。

何事もキリキリキリ、と云ふ事あります。
キリで、区切りが生まれてしまいますと、手遅れ、もあります。
時過ぎてからでは、実らない種もあるのです。

世(よ)治めるは 九(こ)の花(八七)さくや(三九八)秘様、です。

九の行、八から七を産み出す。
三が道、九の神様、無限に継続していく、その秘を、行から理解する、体験を進めて下さい。

Ⅹ.金(きん)(9次元の存在)、悪神の悪、では治まりません

第二十六帖
金(きん)では治まらん、悪神の悪では治まらん、ここまで申してもまだ判らんか、金では治まらん、悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、判ってゐる守護神殿 早う改心結構ぞ、元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、洗濯すれば治るぞ、病神は恐くて這入って来られんのぢゃぞ、家も国も同様ざぞ。

金(きん)では治まりません。
悪神様の悪でも治まりません。

ここまで申しても判らんか、とありますが、金(きん)、高次元に移行すれば大丈夫と思ったり、悪神様の支配で何とかなる、と思う方はやはり多いです。

金では治まらず、悪の総大将もその事を知っていますから、金(かね)で、きんで、世をつぶす計画をしているのです。

今現在、その兆候が現れてゐます。

判ってゐる守護神様、早う改心結構です。
元の大神様に御無礼してゐるから、病神に魅入られてゐるのです。

それは、我良し、慢心、分け隔て、の三つが大きいです。
そして、これらと無縁の方は居ません。

洗濯すれば治ります。病神は恐くて、入ってこられないのです。

これは、家も国も同様です。

ⅩⅠ.苦(九)を楽しめますと、伸びていきます

第二十七帖
苦しむと曲るぞ、楽しむと伸びるぞ、此の方 苦しむこと嫌ひぢゃ、苦を楽しみて下されよ。

苦しむと曲がります。
苦しんだままでは、曲がるようになっています。(曲がってゐるから苦しむとも言えますが。ですから、何より改心が大切です)

楽しむと伸びます。

此(九)の方 苦しむこと嫌ひ、とあります。
苦(九)を楽しみて下さい。

それは、苦を苦で無くす、九の行が求められます。

ⅩⅡ.敵とう神様、次々現れ、やがて、産み出す神様へと変わります

第二十七帖
此の方に敵とう御力の神、いくらでも早う出て御座れ、敵とう神 此の方の御用に使ふぞ、天晴れ御礼申すぞ。

此の方に敵とう御力の神様、いくらでも早う出て御座れ、とありますが、
ここまで、沢山見てきましたし、実際、沢山出て来てゐます。

そして、何よりも、自身が以前は、敵とう御力の神様でしたし、どのような方もこの段階を通ります。

更に気になるのが、敵とう神様、此の方の御用に使ふぞ、とあります。

敵とう神様、ですが、これは、此の方に敵となる神様、もあれば、敵と産み出す神様、もありそうです。

当初こそ、敵となる神々様が現れるかもしれませんが、やがては、敵と産み出す神々様になる可能性がある、と見てゐます。

敵とう神様、の解釈が複数ありそうです。

2.んめ(ウメ)の巻③ これから実現していくもの その1 2024年6月3日現在

Ⅰ.今度は、全ての教えも何もかも生かすようになります

第二十一帖
今度はキリスト教も仏教も何も彼も生かさなならんのぞ。早くから此の方の元へ来て居ても因縁あっても肝腎が判らんと後戻りばかりぢゃ、肝腎々々ぢゃ、

今現在のマンデラ・エフェクトの状況から、実は、この可能性は、有り得るものと、ずっと考えていました。
セッションのお客様ともできる方とはしていました。

以前の御神示では、キリスト教、仏教、は、それでは、どうにもならない、止まりだったのですが、実は、キリスト教、仏教、まで、全て書き換わっていくのでは、と思いだすようになってきたのです。

つまり、思念界から、変え続けていけば、あらゆる教えも、教え、から教へ、に変わるのでは、と見てゐるのです。

ですが、肝腎は、思念界から変える、四の行(しきまきや)、九の行(くにつつみ)なのです。

平面からですと、どうしても、平面に戻されてしまうのです。
それが、現在の教え、ですし、宗教でもあります。
実際には、平面から行こうとする方。それは、苦行であり、此の道から外れてしまっているのです。

そういった意味では、何教からでも、此の道に進むのは、可能と言えば可能でもあります。
此の道は、行じ省みる、思念を変えて行く為です。

そして、一対一から、変わっていく事が分かっていれば、囚われにならない可能性があります。

ですが、教え、宗教、からですと、どうしても、平面に囚われざるを得ない事を理解して下さい。

Ⅱ.今後の御用は元のキの道、世の元の神様でないと判らないようになっています

第二十一帖
学もよいが、それはそれの様なものぢゃぞ、途中からの神は途中からの神、途中からの教は途中からの教、今度の御用は元のキの道ざぞ、世の元からの神でないと判らんぞ、出来はせんぞ、生れ赤児の心とは、途中からの心、教、すっかり捨てて了へと云ふ事ざぞ。

同じく、学もそうです。
学ですと、平面になりがち、ですし、教えに近いものとなってしまいます。

途中からの神様は、途中からの神様でしかありません。
途中からの教は、途中からの教止まりです。

今度の御用は、元のキの道なのです。
世(四)の元からの神様でないと判らないですし、出来ないのです。

しきまきや、を起こす事は大前提、と見てゐます。

生れ赤児の心とは、途中からの心、教、すっかり捨てて了へ、と云ふ事です。
平面の囚われを無くす事がまず始まりです。

Ⅲ.皆が誠の神魂になって来んと誠の神様は出ないようになっています

第二十二帖
まだまだどえらい事出て来て日本の国は愈々つぶれたと云ふ処へなって来るから、皆が誠の神魂になって来んと誠の神は出ないのざぞ、誠ある処へ誠の神働くと申してあろが、誠ない処へ働く神は悪神ぢゃぞ、よう気付けてくれよ。

今の日本でも、既に結構大変な所に来ているとは思ってゐますが、まだまだ、どえらい事出て来て、日本の国は愈々つぶれたと云ふ処へなってくる時が来るようです。

その際には、皆が、誠の神魂になって来んと誠の神様は出ないようになっています。
誠ある処へ、誠の神様働くようになっています。

この時の皆、は、今のところ、それ程多くの方がなるとは思えていないのですが、できれば、全ての方々がなれれば、と思います。

それには、マンデラ・エフェクト、による書き換えが必要と見てゐます。分かってゐる方から、世界を変えて行く事が求められます。だからこそ、日々の行、省み、洗濯、掃除、改心、が必要なのです。

誠ない処へ働く神様は、悪神様ですので、よう気付けて下さい。

Ⅳ.出来るだけ大き器持ちて下さい。欲は大きく、捨てて、放して掴んで下さい

第二十二帖
御用いくらでもあるぞ、お蔭取り徳ぢゃ。出来るだけ大き器持ちて御座れよ、皆々欲がチビイぞ、欲が小さいなあ。話すことは放すことじゃ、放すとつかめるぞ。

御用いくらでもあります。
お陰は取り徳なのです。

得ではなく、徳、である事に注意して下さい。

出来るだけ大き器持ちて御座れよ、と伝えています。
皆々欲がチビイ、欲が小さいなあ、と伝えられています。

実際、大きな苦、大きな悪を浄化する程に、大きな楽、喜び、善を産み出せる事が分かってきますと、欲は大きな方が良い、という事も判ってきます。

そして、欲を捨てていく事も求められます。
すると、新たな世界が実現していく、という流れになる事が多いです。

話すことは、放すこと、放すとつかめる。というのは、そういった事です。

大きな欲をまず、念頭に置き、行じ、そして、欲を捨てていく。
すると、掴める流れになるようです。

Ⅴ.国(九二)の教えは様々ありますが、道は一つです

第二十三帖
一の国は一の国の教、二の国は二の国の教、三の国は三の国、四の国は四の国と、それぞれの教あるぞ。道は一つぢゃ、取違ひせん様にせよ。

一の国(九二)は一の国の教、二の国(九二)は二の国の教、三の国(九二)は三の国、四の国(九二)は四の国と、それぞれの教あります。

九から産み出す二二の仕組み、もそれぞれの教えがあるのです。

ですが、道は一つです。
行ったり来たり、様々ありますが、御自身の道は一つしかない事は忘れてはなりません。

取違ひせん様にして下さい。

Ⅵ.皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しの世界、不足ない光の世が来ます

第二十三帖
住む家も、食ふ物も違ふのざぞ、まぜこぜならんのぢゃ、皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しざぞ、不足ない光の世来るぞ、早う身魂相当の御用 結構々々ぞ。

今度は、住む家も、食ふ物も違ふのです。
ですから、まぜこぜならんのです。

皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉し、なのです。
不足ない光の世が来ます。

ですから、早う身魂相当の御用 結構々々、と伝えられています。

できる処より、できる事をして下さい。
そして、器はなるべく大きく、 欲は大きく、その後、欲を捨てて、放して、掴んで下さい。

全て、大切な過程です。

Ⅶ.世 愈々開け行くと申してゐますが、愈々つまってきます。此の道進む方から楽に進みます

第二十三帖
世 愈々開け行くと人民申しているが、愈々つまって来るぞ、おそし早しはあるなれど何れは出て来るから、神示肚に早う入れて置いてくれよ、神示まだまだ判ってゐないぞ。

世 愈々開け行くと人民申してゐますが、愈々この後つまって来ます。

例えば、目先は、物価高は分かりやすいです。あらゆる物が物価高となり、開ける前に行き詰る人の方が多いです。ですが、此の道に進む人は、必要なものは、物価高の影響受けず、入手できたり、ご縁があったりして、詰まる事が無くなるようになっています。

これは、経済だけでなく、この他に、病、も同様です。
病が治り開く方よりも、むしろ、判るように病から行き詰る方も出てきます。
コロナは終わったものと思ってゐるかもしれませんが、人の我、が治らない以上、また同じ事を繰り返すか、もしくは、新たな感染症を産み出します。もしくは、我、が原因の病。から行き詰る世界を産み出す可能性があります。

戦争も終わった訳ではありません。起こらない世界への移行の連続で済んでいるだけであり、今現在、いつ、どこから勃発してもおかしくありません。日本では、キタの三カ国からの警戒は常に意識しておく必要があります。

このように、いずれ、行き詰りはやってきます。
これは、行をしていっても行き詰りを体験しますが、その行き詰りを直す事で、次の段階へと進んで行きます。

おそし早しはあるなれど、いづれは出て来るのはこういった事です。

行じて行っても出てきますが、ただ、これは、解決し、新たな世界を開く元となっています。そして、周囲に現して行く行が、次に求められて行きます。

ですから、御神示を肚に早う入れておいてください。
御神示、まだまだ判ってゐません。

確かに、段階が進んでも次々、御神示は産み出されていきますから、御神示は判らなくてよいのです。

それよりも、喜びの世界とは、次々、産み出ていく、無の境地から産み出されていく、判らないようになっている事が、判ってくる段階が一つ大切な事、だと見ています。

3.んめ(ウメ)の巻③ これから実現していくもの その2 2024年6月3日現在

Ⅰ.人民も磨けば、神様にご意見される程に、身魂に依ってはなれます

第二十四帖
待てるだけ待ってゐるが世をつぶすわけには行かん、人民も磨けば神に御意見される程に身魂に依ってはなれるのざぞ、地(くに)の日月の神と栄えるのざぞ、何より身魂磨き結構。

待てるだけ、待ってゐただいていますが、世をつぶすわけには行かない、のです。
それでは、また、人の我の世界に戻されてしまうからです。

人民も磨けば、神様にご意見される程に身魂に依ってはなれるのです。

地(くに)の日月の神様と栄える、と伝えられています。
御自身の我が磨けますと、地(くに)の日月の神様と共に栄える流れとなり、
また、御自身が、地(くに)の日月の神様となり、栄えていきます。

ですから、何より、身魂磨きが結構です。

Ⅱ.二本のやり方違って居たと云ふ事、五度違ったと云ふ事判ってこないと、二本の光出ません

第二十四帖
人気の悪い所程メグリあるのざぞ、日本のやり方違って居たと云ふこと、五度違ったと云ふ事判って来ねば、日本の光出ないぞ。

人気の悪い所程、メグリがあります。

日本のやり方違っていたと云ふ事
二本のやり方違ってゐたと云ふ事。
(我欲、と此の道では、二本が全然違うのです)

五度違ったと云ふ事。
後土、違ったと云ふ事。
(五度閉めの岩戸の後と前のお土、全然違うのです)

五度違った中でも、王統によるカルマ、四度目、五度目、は行じなくても、分かりやすいですし、スサナル様に罪を着せ閉めた三度目も、判りやすいです。ですが、三度目は、改心が相応に求められます。

二度目の、我、から始まった岩戸閉め。
一度目の、男女から始まった岩戸閉め。
は、結構な感覚があります。

ただ、これも、徐々に判りつつあります。行じて行く事で判ってきます。
一度目、二度目、が結構、である事をご理解下さい。

これらが判って来ねば、日本(二本)の光が出ないようになっています。

Ⅲ.中味よくなって来ると、表面飾らなくても、光出てきます

第二十四帖
表面(うわべ)飾るな。コトもかめばかむ程味出て来るのが磨けた身魂。中味よくなって来ると表面飾らいでも光出て来るぞ。

表面(うわべ)飾らないようにして下さい。

コト(九十)もかめばかむ程、味出て来るのが磨けた身魂、のようです。

中味よくなって来ますと、表面飾らないでも光出て来るようになってきます。

内を変えて行く事を、まず意識して下さい。

Ⅳ.今度、五度の岩戸一度に開いて、びっくり箱開いて、天晴れ神々様に御目にかけます

第二十四帖
これまでの日本のやり方悪いから、神が時々、神がかりて知らしてやったであらうが、気付けてやったが気の付く臣民ほとんどないから、今度五度の岩戸一度に開いてびっくり箱開いて、天晴れ神々様に御目にかけ申すぞ、お喜び載くのぢゃ。

これまでの二本のやり方悪いので、神様が時々、神がかりで知らしてやったであろうが、
とあります。

日本のやり方が悪い、というのは、初期の段階で、結構早い段階で分かりますが、二本のやり方が悪い、というのは、行じていく事で分かってきます。二股膏薬が、我、基軸ですと、全然進まない事は行じないと中々判らないですし、判ってゐても、二股膏薬。我、のまま、の方は沢山います。

それは、神様が時々、神がかりで知らしてやったのですが、気付けてやったのですが、
気の付く臣民ほとんどありません。

日本のやり方が悪い、と気付く臣民も確かに殆どいませんが、二本のやり方も悪い。
というのも、行じていかないと判らないようになっているので、こちらの事に気付く臣民はもっと少ないです。

今度、五度の岩戸、一度に開いて、びっくり箱開いて、天晴れ神々様に御目にかけ申される、とあります。この事で、お喜び戴くようになっています。

Ⅴ.御神示を判るには、神の伊吹、心、を行じ、理解、体験して下さい

第二十四帖
神示通り出て来ても、まだ判らんか。神示は神の息吹きぢゃ。心ぢゃ。口上手身振り上手で誠ない者この方嫌ひぢゃぞ。

御神示通り出て来ても、まだ判らない方も居るかもしれません。

これだけ、御神示が、マンデラ・エフェクトを起こしても、そこに、此の道が知らせてあっても、実際、判らないようになっています。

それは、行が足りていないからですし、省みも足りていませんし、経験もまだまだしていないからです。
この場合は、いくら、御神示読んでも、判らないと思います。

御神示は、神様の息吹、です。心、です。

口上手、身振り上手で、誠ない者、この方、嫌ひ、とあります。

行じようとしても、多くは、誠が無い事が多く、始めはそのような所から、の方が殆どです。

Ⅵ.とどめ⦿(かみ)なりです。先が見へるようになります

第二十四帖
とどめ⦿(かみ)なり。先見へるぞ、先見んのは途中からの神ぢゃ。

とどめ⦿(かみ)なり。
先見へるぞ、とあります。

先は、三キ、を見れば分かりますし、永劫の過去を見れば、行じていけば、判るようになります。

見える、のではなく、みへる(三経る)、とあります。

先見んのは、途中から神様、とあります。
三を経ずに、結果に囚われている傾向にあります。

Ⅶ.口で説くばかりではどうにもなりません。誠一つで、説いて行ってください

第二十六帖
神示幾らでも説けるなれど誠一つで説いて行(おこな)って下されよ、口で説くばかりではどうにもならん、魂なくなってはならん。

御神示幾らでも、説けるなれど、誠一つで説いて行(おこな)って下さい。

口で説くばかりではどうにもなりません。
魂なくなってならないのです。

ですから、誠一つの、行、がまず大切です。
行、を起こさない事には、何も始まらないのです。

そして、心・口・行の一致。更には、省み、心に・を入れていく事です。

Ⅷ.世界のどんな偉い人でも、此の方に頭下げて来ねば、今度の岩戸は開けんようになっています

第二十七帖
世界のどんな偉い人でも、此の方に頭下げて来ねば今度の岩戸開けんぞ、早う神示読んで神の心汲み取って、ミロクの世の礎 早う固めくれよ。

世界のどんな偉い人でも、此(九)の方に頭下げて来ないと、今度の岩戸は開けんようになっています。

此(九)の方は、中々居ないですが、マコトの者千人に一人で、その中に居る可能性もありますし、何よりも、行を継続していきますと、周囲にマンデラ・エフェクトが起こっていきますから、その周囲から現れるようになっている、でしょう。

ですから、何よりも、行であり、次に省みる、であり、我の洗濯、掃除、改心を進めて下さい。

この事で、此(九)の方と出会える時が来るでしょう。無理なく来ます。
会っていないのであれば、今の御自身が、まだ改心、が足りていない、という事です。

早う御神示読んで、神様の心汲み取って、ミロクの世の礎 早う固めて下さい。

Ⅸ.算盤のケタ違ふ算盤でいくらはじいても出来はしません。素直にしますと、見事 光の岸つれて頂けます

第二十七帖
算盤のケタ違ふ算盤でいくらはじいても出来はせんぞ、素直にいたしてついて御座れ、見事 光の岸につれて参って喜ばしてやるぞ。

算盤のケタ違ふ算盤でいくらはじいても出来はしないようになっています。
素直にいたしてついてきてください。

見事 光の岸につれて参って喜ばして頂けます。

Ⅹ.十二、六、三、二、一となり、一つの王で治めることになります

第二十八帖
十二の流れ、六の流れとなり、三つの流れとなり、二となり一と成り鳴りて、一つになり、一つの王で治めるのぢゃぞ、弥栄の仕組、普字と成答の仕組、いよいよとなったぞ。あな嬉し、あなすがすがし普字は晴れたり日本晴れ。此の巻 んめの巻と申せよ、後の世の宝と栄へるぞ。

十二の流れ、六の流れとなり、三つの流れとなり、二となり一と成り成りて、一つになり、一つの王で治める流れ、になります。

弥栄の仕組、普字と成答の仕組、いよいよ、となっています。

十二の流れは、神様の不二、二二の流れ、です。
六の流れは、無から産み出す流れ、です。
三つの流れは、三界和合、また、三が道の流れ、です。
二となり、は再度、不二の仕組、二二の仕組み、です。

そして、一つとなり、一つの王で治めるのですが、それが御自身、となっていきます。

これが弥栄の仕組、普字、成答の仕組、です。

他にも、この十二、六、三、二、一、の流れ。はあると見てゐますが、その方、その体験と共に様々あると見てゐます。

そして、あな嬉し、あなすがすがし、普字は晴れたり日本晴れ、となります。
此の巻 んめの巻と申せよ、とあります。

後の世の宝と栄へる事となります。

4.んめ(ウメ)の巻③ 今実現したら困る物、手遅れになるもの 2024年6月3日現在

Ⅰ.道は神様にも曲げられず、竜神は悪神様、と云ふ時来ます

第二十二帖
いくら時節来たとて人民に誠ないと気の毒ばかりぢゃ、気の毒 此の方嫌ひぢゃ。道は神にも曲げられん、竜神は悪神ぢゃと云ふ時来るぞ、心せよ。

いくら時節が来ても、人民に誠ないと気の毒ばかり、となります。
気の毒、此の方嫌ひとあります。

道は、神様にも曲げられません。
竜神は、悪神様ぢゃ、と云ふ時が来るようです。

やはり、我、から進みますと、洪水が来ます。ですが、しきまきや、を起こして行く行を進めていけば、思念界で留まったり、で済む可能性があります。

ですから、この後、心する事が求められます。

Ⅱ.誠ない者 今に此の方拝む事出来んことになります

第二十二帖
誠ない者 今に此の方拝む事出来んことになるぞ、此の方に近よれんのは悪の守護神殿。愈々天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ、王の王の神で末代治める基(もとい)つくるぞ、少しでもまじりけあってはならんのぢゃ、早う洗濯掃除結構ぞ。

誠ない者 今に此の方拝む事が出来んことになります。

此の方に近よれんのは、悪の守護神殿、の影響を受けているからです。

愈々、天の御先祖様と地のご先祖様と御一体となりなされ、王の王の神様で末代治める基(もとい)つくります。

少しでも、まじりけあってはなりません。

ですから、早う、洗濯、掃除、結構、と伝えられています。

まとめ んめ(ウメ)の巻③

んめ(ウメ)の巻③で、実現した事では、

やりたいだけやってみて、性来だけの事しか出来ないと、神にすがらなならんと判るようになる事

したいこと、やりて見て得心行く迄、やりて見て、改心の早う結構な事。

足場は、ミロクの世のやり方の型出しから始まる事。

身欲信心、スコタンばかり、の体験をしていく事。

神示、ひふみ、となり。御神示のマンデラ・エフェクト、を起こして行く事。

此の道に入っての三年。一年と半年と半年と一年、拝むだけでなく、御用し、更には改心を次々進めていくようになる事。

此(九)の道、ちっとも心許せませんが、キツイやさしい道でもある事。

神様のそばに引き寄せても、実地に見せても、中々改心致さん臣民ばかり、である事。

気の毒出来ますから、守護神様、早うまつりて行く段階が来る事。

金(きん)(9次元の存在)、悪神の悪、では治まらない事。

苦(九)を楽しめますと、伸びていくようになる事。

敵とう神様、次々現れ、やがて、敵から産み出す神様へと変わる事。

これから実現していく事では

今度は、全ての教えも何もかも生かすようになる事。

今後の御用は元のキの道、世の元の神様でないと判らないようになっている事。

皆が誠の神魂になって来んと誠の神様は出ないようになっている事。

出来るだけ大き器持ち、欲は大きく、捨てて、放すと、掴めるようになっている事。

国(九二)の教えは様々ありますが、道は一つである事。

皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しの世界、不足ない光の世が来る事。

世 愈々開け行くと申してゐますが、愈々つまって来る事。
此の道進む方から楽に進む事。

人民も磨けば、神様にご意見される程に、身魂に依ってはなれる事。

二本のやり方違って居たと云ふ事、五度違ったと云ふ事判ってこないと、二本の光出ないようになっている事。

中味よくなって来ると、表面飾らなくても、光出てくるようになる事。

今度、五度の岩戸一度に開いて、びっくり箱開いて、天晴れ神々様に御目にかけるようになる事。

御神示を判るには、神の伊吹、心、を行じ、理解、体験しないと判らないようになっている事。

とどめ⦿(かみ)なりで、先が見へるようになる事。
見えないのは途中の神様の段階の為である事。

口で説くばかりではどうにもならない事。
誠一つで、説いて行くには、心・口・行の一致、更には神の・を入れていく事が求められる事。

世界のどんな偉い人でも、此の方に頭下げて来ねば、今度の岩戸は開けんようになっている事。

算盤でいくらはじいても出来ない様になっている事。
素直にしますと、見事 光の岸つれて頂けるようになる事。

十二、六、三、二、一の流れから、御自身が、一つの王で治めるようになる事。

今、実現したら困るものでは、

いくら時節来ても、人民に誠ないと気の毒ばかり、となる事。

誠ない者 今に此の方拝む事もできなくなる事。

といった事がありました。

皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しの世界、不足ない光の世が来る事。も御伝えしている一方で、いくら時節が来ても、誠ないと気の毒となる事。誠ない者、此の方拝む事すらできなくなってしまう、と伝えられています。

神様のそばに引き寄せても、実地に見せても、中々改心致さん、とある位。改心が進まない方の方が多いです。それは、二股膏薬。我、囚われ、慢心、分け隔て、が残ってゐるからです。

すぐに、改心は進みません。三年かかる事は、んめ(ウメ)の巻にもあった通りです。

できる所より改心を進めて下さい。

繰り返しですが、5月31日の熊本地震。6月1日の四国地震。6月3日の能登地震。
猶予が無い所にきています。

神様の申す通り、素直に行を次々と進めて下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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