磐戸(一八十)の巻の三つ目になります。
磐戸(一八十)の巻では、一文がかなり長文化しているマンデラ・エフェクトを起こしています。
それは、どうも、今現在、多くの方が、岩戸が開くタイミングに来ている為のようです。
丁度鳴門(七流十)の仕組み、七月から十月に向けて開く仕組に入っている方もいるようです。
今回、3つに分けての解読に約1か月を要したのも、意味があったようです。
それは、この後に向けて、 岩戸を開いて行く為、という事があるようです。
今回は、残りの文面だけでなく、直近で起こった出来事も合わせてお伝えしていきたい、と思います。
直近の私に起こった出来事について
Ⅰ.身体の岩戸が開き始めたのは、みみへのお知らせ
実は、私もセルフヒーリングを進めて行く中で、身体の岩戸開き、が起こり始めました。
幼少から、右肩肩甲骨がどうにも硬く、左手は後ろに手を廻して広範に届くのに、右手は後ろに手を廻しても殆ど手が届かないのです。
●病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。
故に、私は、まだ病がある。浄化が終わっていないという事です。
この事は以前から気にはなっていたのですが、セルフヒーリングをしていく内に、右肩甲骨と背骨の間の筋肉の浄化を進めて行く事で、確かに、右肩肩甲骨が廻り始めるようになってきたのです。
それが、この7月9日辺りからの事なのです。
丁度、8日の開く動きのあった後からです。
肩甲骨、並びに肩甲骨周囲の筋肉には、浄化を待っている前世が沢山ある事に気付いたのです。
Ⅱ.元は、五十柱から、九十五柱、となり始めた
第十五巻 一八(イハ)の巻 第四帖 (三六九)
●元は十と四十七と四十八とあはせて百と五ぞ、九十五柱ざぞ。
元は、百と五、九十五柱ざぞ。
という文面は、新たな文面と見ています。
元々、文面全体では、四十九名、五十柱を意識していたのですが、
この文面の登場は、また新たな意識の変革を求められる所に来ています。
●元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのざ、
といった、むしろ四十九名の事についての記載はかなり多いのですが、
元は九十五柱。は、初めて見ました。
私は、セルフヒーリングを、誕生日明け6月13日の翌日、6月14日から一日2件を進めていく流れとなりました。
首の痛み、肩の痛みが強まるといった、身体から訴えが始まったのです。
元々、8の年に入る所でしたから、浄化の覚悟はある程度はしていたのです。
そこで、50件目の辺りで、何か起こると思っていました。
それは、四十九人、五十柱、と型が重なる、と見ていたからです。
それが、右肩の肩甲骨の、元の部分から浄化です。
丁度25日後、が7月8日にあたり、更に身体の痛みが強まり、7月9日より一日4件の日を作っていく事となりました。
それは、どうも、合わせて九十五柱と十柱、合わせて百五、表裏で二百十柱の浄化が必要の為のようでした。
実際、7月9日辺りから、肩甲骨そのもの、またその周囲の筋肉の浄化を進める事となり、
すると、徐々にですが、生涯動かなかった、右肩が廻るようになってきたのです。
私自身が、生涯抱えていた、動きの悪い右肩。肩甲骨。
この浄化を五十歳になった今から、始める事になるとは思いもよりませんでした。
それは、磐戸(一八十)の巻、の最後の方にも記載されているのですが(後述します)、みみ(御身)に知らせる為のようでした。
それを、旧暦九月八日の前、新暦9月8日までに二百十名の浄化を進めて行く事が求められているようです。
これを書いています7月14日段階で、丁度72名の浄化を終えましたが、セッションの兼ね合いや他の仕事と並行しますと、丁度その頃に二百十名、となるようです。
Ⅲ.磐戸(一八十)の巻の進め方にも意味があった
そう言えば、 磐戸(一八十)の巻のマンデラ・エフェクトについて、ブログで御伝えしたのは、6月16日の事でした。丁度、セルフヒーリング1日2件を始めた頃です。
磐戸(一八十)の巻は、かなり長文化したマンデラ・エフェクトが起こっており、2回で終える事ができず、3回目を残していました。
ですが、その後、不思議と、社会にも様々な動き、大きな動きが起こり、磐戸(一八十)の巻の解読には、中々タッチできませんでした。
ちなみに、7月12日には、裏の仕組みで、第十五巻 一八(イハ)の巻をお伝えした所で、それは、この6月~7月に向けて、岩戸を開く動きを伝えていく為。
鳴門(七る十)の仕組みに入っている方も出始めている、という事も判ってきました。
第十五巻 一八(イハ)の巻は、こちらでは当面御伝えしませんが、今現在、開いている、と思われている方は、是非読んで下さい。岩戸開きについて、九十五柱のマンデラ・エフェクト以外にも、重要な事が伝えられています。
この1か月の動きは、まさしく、この後、旧暦九月八日に向けて、岩戸を開く為の準備期間だったようです。
ここまで、社会にも、大雨を初め、大きな動きがありましたが、それは前兆と言ってよさそうです。
この流れの中、この後の、磐戸(一八十)の巻の文面の三つ目をお伝えしていきます。
7.第八巻 磐戸(一八十)の巻 第十七帖 (二五三)
Ⅰ.こ(九)の神様は、悪く見へる方はかなり多い
第十七帖 (二五三)
●この神はよき臣民にはよく見え、悪き臣民には悪く見へるのざぞ、鬼門の金神とも見へるのざぞ、世はクルクルと廻るのざぞ、仕合せ悪くとも悔やむでないぞ、それぞれのミタマの曇りとりてゐるのざから、勇んで苦しいこともして下されよ、上が裸で下が袴はくこと出て来るぞ。
こ(九)の神様はよき臣民にはよく見え、また悪き臣民には悪く見へる、とあります。
ここにおける、よき臣民とは、和合ができている方です。
悪和合、善和合、あらゆる存在と和合ができている方です。
御神示における、善とは、和合、と言ってもよいのです。
和合しない善とは、概ね外道の善、です。
ですが、外道の善から見ますと、こ(九)の神様は、悪く見えるようになっているようです。
分け隔てがある為です。
見える、というよりは、見へる、が確かにピッタリだと思います。
こ(九)の神様は、鬼門の金神様にも見へるようです。
世(四)クルクル(九流九流)(苦流来る)と廻るのです。
今現在、やって来るものが苦しい方も中には居ます。
特に善払いができていない方は、結構苦しむ方も居ると見ています。
(この後、最後の方の文面でもそれが判ってきます)
仕合せが悪くとも悔やむのではなく、それぞれのミタマの曇りとりてゐるのですから、勇んで苦しいこともして下さい。
一方でですが、上が裸で下が袴はくこと、こういった経験をしている方は順調だと思います。
Ⅱ.神様が化かして使っているから、出来あがる迄には誰にも判らないが、出来上がりたら、皆がびっくりする
第十七帖 (二五三)
●神が化かして使うてゐるのざから、出来あがる迄は誰にも判らんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がびっくりするのざぞ、びっくり箱にも悪いびっくり箱と、嬉し嬉しのびっくり箱とあるのざぞ、
神様が化かして使うてゐる、のは確かに判ります。
ある部分、騙してくれているからここまで来れたのも実際の所です。
そして、騙しの神様、智の神様こそ、立体に進む為、重要な神様なのです。
そこには、善、悪、がありません。
理解できるどうか、和合できるかどうか、です。
それは、体験を通してでないと判らないようになっている仕組です。
ですから、出来上がる迄は誰にも判らないようになっています。
判っても、仕組が壊れてしまうのです。
その事も、今回の、自身のみみ(御身)に岩戸開きが起こり始めた事からよく分かってきました。
私もこの流れになっている事は、7月12日から、一八(イハ)の巻、磐戸(一八十)の巻、 を、直近読む事で、ようやく気付いたのですから。
このように、中々その時にならないと判らない仕組になっているのです。
行じていく以外、体験していく以外ないのです。
それが、出来上がりたら、何とした結構なことかと、皆がびっくりするようになっている、との事です。
びっくり箱には、悪いびっくり箱と、嬉し嬉しのびっくり箱とあります。
我欲から進みますと、悪いびっくり箱に進んでしまいます。
一瞬で81の世界へと進みます。その時になっては、手遅れです。
ですから、洗濯、掃除、改心、少しでも早う、と何度も御伝えされているのです。
Ⅲ.無理なく、どんな大峠でも楽に越せるには
第十七帖 (二五三)
●何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑ふは無理ないなれど、曇りとれば、すぐうつる、もとの種もってゐるのざから、早うこの神示読んで洗濯して呉れよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、神の道は無理ない道ざと知らしてあろが。ミタマの因縁おそろしいぞ。上下わき上がるが近うなりたぞ。
この度の岩戸開きは、これまでにない岩戸開きになります。
ですから、何も知らない臣民に、知らないこと知らせますから、
それは、生前から経験もした事もないことですので、疑ふのは無理もないのですが、
曇りとれば、すぐうつる、もとの種持ってゐますから、早う(八四ウ)この御神示読んで、洗濯して呉れよ(九〇四)。とあるのです。
洗濯を進めて行きますと、どんな大峠でも楽に越せます。
実際、今の所の私が、そうだと、思っています。
そして、神様の道は、無理はありません。
ミタマの因縁はおそろしいです。
それは、生前からの御自身です。
知れば知る程に、この世で一番恐ろしい者とは、御自身、という事が解ってきます。
身体を通して判るようになっているのです。
それは、我、から、神様を無き者とし、人が主、神様を従のとしてきた事にあるのです。
誰もがこの経験をしてきていますし、多くの方がこの状況にあります。
我、程、恐ろしいものはないのです。
上下、わき上がるが、近づいてきています。
グレンカラリは、ここまでかなり頻繁に起こっていますが、これも、型にすぎません。
もっと、大きなグレンカラリがこれから起こっていきます。
8.第八巻 磐戸(一八十)の巻 第十八帖 (二五四)
Ⅰ.因縁のミタマが世に(四、二)出て来る時
第十八帖 (二五四)
●今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのざが、時節到来して、天晴(あっぱれ)世に出て来たのざぞ、因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第で其の時からよき方に廻してやるぞ。
今度の御用は、世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々つとまらない、
とありますが、それは、神様も同じです。
神様も長く世におちて苦労に苦労かさねてゐたのですが、
時節到来したので、天晴(あっぱれ)(一一、小四三、半八、〇)世に出てきたのです。
永劫の過去より、しきまきや、から三が道を産み出し、三が道として、神様を産み始めたのです。
因縁のミタマ世に(四二)おちてゐるぞ、とあります。
それは、しきまきや、を起こす前だから、おちてゐる、成り下がってゐるだけです。
ですが、しきまきや、を起こして行きますと、誰もが因縁のミタマになるのです。
外国好きの臣民、それは、とても多いですし、全く関与していない人は、まずいませんので、仕方が無い部分もあるのですが、今に大き息も出来んことになるのです。悪いびっくり箱では、恐ろしい出来事が実現化し息(生き)が出来なくなるのでしょうし、善いびっくり箱でも、時間が止まったりの時間異常によって、身動き取れなくなる状況が産まれるのだと見ています。
覚悟を持ってください。
という文面も増えてきています。
これが以前と違ってゐる所だと思います。
磐戸(一八十)の巻、一八(イハ)の巻には、その覚悟の文面がかなり目立っています。
改心次第で、その時からよき方に廻して頂けます。
一刻も早く、行じ、省み、洗濯、掃除、改心を進めて下さい。
Ⅱ.カルマ解消をするには、それ以上に多く生かす事以外に無い
第十八帖 (二五四)
●改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは神きづつけることになると心得よ、神の御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマのれよ、コト高くあげよ、富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、そのコトに神うつりて、何んな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残る様にしてやるぞ。
改心でも、人前での懺悔は、割引の懺悔になります。
それは、神様をきづつける事になります。
懺悔をする場合は、神様の御前でし、悪きコトに、倍したよきコトタマに乗ってください。
実は、神様とは、一切の存在ですから、前世からでも大丈夫です。
人間の前、人の前、と言えばそうかもしれませんが、そうでないとも言えます。
そこから世界がまた変わって行きます。
よきコトタマに乗ってください。そして、コトを高く上げてください。
二二晴れる迄、コト(九十)高くあげて下さい。
そのコト(九十)に神様うつりて、何んな手柄でも立てさせて頂けます。
最後には、万劫末代名の残るようにして頂けます。
Ⅲ.仕組みが判ったら、逆立ちしてお詫びしても、その時では間に合わない
第十八帖 (二五四)
●この仕組判りたら上の臣民、逆立ちしておわびに来るなれど、其の時ではもう間に合はんから くどう気付けてゐるのざぞ。臣民、かわいから嫌がられても、此の方申すのざ。
くどい位に、書かれていますが、その時になってからでは、間に合わないのです。
この仕組が判りたら、上の臣民は、逆立ちしておわびに来るのですが、そうなってからでは、手遅れです。
そうなる前に動く以外ないのです。
この事を伝えますと、脅している、と言われる方、結構多いです。
ですが、周囲に起こっている出来事とは、生前の御自身でもあるのです。
今の地球で起こっている状況、ウクライナ情勢を初め、我欲の世界そのものが、生前からの御自身でもあるのです。
御自身の生前を理解していきますと、
何より恐ろしいのは、御自身の魂。という事が判ってきます。
ですが、この道に入りますと、行じ、省みる事から、洗濯、掃除、改心。
が進んで行くようになっているのです。
ですから、一刻も早う、行じて下さい。とあるのです。
臣民、かわいから嫌がられてもこの事を申すのざ、という文面も初めてだと思います。
神様もかなり覚悟を持って伝えられていると見ています。
Ⅳ.今の世は、マコトの神さへ悪に巻き込まれている程、知らず知らずの内に悪になりてゐる
第十八帖 (二五四)
●悪と思ふことに善あり、善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になってゐるのざから、マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程、知らず知らずに悪になりてゐるのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん、臣民に判らんのは無理ないなれど、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ、
悪と思ふことに善があり、善と思ふ事にも悪多いです。
例えば、法律も戒律が必要な段階では、善のところもありますが、
段階が進みますと、悪にならざるを得ない所があります。
今となりますと、平面世界に留めさせよう、というのが、悪、とも言えると思います。
それは81の世界に進む以外無い為です。
ですが、多くの方は、我から、喜んで平面世界を選んでしまいます。
それで普通なのです。
正確には、それが、立体の一部であるようにしていけば良いのですが、
多くの方々は、囚われた平面、にわざわざしているのが実際の所です。
それは概ね、我、から知らず知らず我良しになってしまう為です。
今の世では、気を付けませんと、知らず知らずに、神様を無きものとした、我、になりやすいのです。
実際、今の世では、マコトの神様も、悪に巻き込まれずにいられないと思います。
その上に、五度の岩戸しめですから、見当も取れない、臣民には判らない、
のも無理はないのとあるのですが、それでも、五度の岩戸閉め、を判らない事には、結構な御用はつとまらないのです。
その岩戸閉めの筆頭は
男女の問題、イザナギ様、イザナミ様、ですが、
男女の問題は、かなり根が深く、これも様々な浄化が必要とされています。
他には、
騙しの神様から間違った事。(天照大神様、スサナル様の時)
愛から間違った事。(スサナル様の時)
皇大神宮様として王として伝えようとして、間違った事。(天照皇大神宮様の時)
我欲から間違った事。(最後の岩戸閉め)
一度や二度で、そう簡単に進む話ではないのです。
ですが、これを判らない事には、今度の御用、結構な御用はできないようになっています。
Ⅴ.和合できていない神々様に巻き込まれないように、褌しめてください
第十八帖 (二五四)
●時が来たら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ、神の臣民はづかしない様にして呉れよ、臣民はづかしことは、神はづかしのざぞ。愈々善と悪のかわりめであるから、悪神暴れるから巻込まれぬ様に褌しめて、この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ。
今現在、隠し事が難しい世になってきていますから、われがわれの口でわれが白状するような事はとても増えてきています。
それは、確かに、神の臣民からしますと、はづかしい事です。
ですが、段階が遅れる程にそうなってしまうのです。
臣民はづかしいことは、神様はづかしいのです。
これも結構辛い経験になりますから、少しでも早く、洗濯、掃除、改心してください。
とあるのです。
今現在、愈々善と悪のかわりめです。
善悪基軸から、和合基軸に変わります。
外道と理とに分かれます。
そして、外道の善、外道の悪、の戦いになっていきますから、
巻き込まれないようにして、少しでも早く、できる限り、褌(二、ん、土、四)から、
しきまきや、を起こし、御三体の大神様を産み出し、二二の仕組みから回避して下さい。
褌を締める事ができますと、外道の神々様の争いを無くしていく事が可能になっていくでしょう。
御神示を読んで、神様の心(九九六)をくみとって、御用(五四ウ)(誤四ウ)大切になさってください。
9.第八巻 磐戸(一八十)の巻 第十九帖 (二五五)
Ⅰ.かなはんと申しても、生み出し続ける事で回避ができる
第十九帖 (二五五)
●向ふの国いくら物ありても、人ありても、生神が表に出て働くのざから、神なき国は、いづれは往生ざぞ。この神の申すことよく肚に入れて、もうかなはんと申す所こらへて、またかなはんと申す所こらへて愈々どうにもならんといふ所こらへて、頑張りて下されよ、
向ふの国はいくら物があっても、人あっても、この後は、生神様が表に出て働くようになっていきます。
神様を無きものにした国は、いずれ、往生するようになっています。
この神様の申すことよく(四九)肚(八〇)に入れて、もうかなはん(六七、七、八、ん)と申す所こら(九、〇)へて、またかなはんと申す所こらへて、愈々(一四一四)どう(土ウ)にもならん(七、〇、ん)といふ所こら(九、〇)へて、頑張りて下されよ。とあります。
もうかなわはん、と思っていても、常々、しきまきや、苦を苦で無くしていく事から、無から、もう一段上の無、七を産み出し、八を産み出し、更に、九、から、もう一段上の世界を生み出していく事で、回避できるのです。
Ⅱ.死んでも頑張る事で、判る世界があるようです
第十九帖 (二五五)
●神には何も彼もよくわかりて帳面に書きとめてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、其処迄 見届けねば、この方の役目果たせんのざ、可哀さうなれど神の臣民殿、こらえこらえてマコト何処迄も貫きて下されよ、
神様には、何もかもよく分かっていて、帳面に書き留めています。
ですから、何処までも、死んでも頑張って下さい。
とあるのですが、一旦は、確かに死ぬ事が前提で書かれている所があると見ています。
そこまで見届けないと、この方の役目果たせないようです。
可哀さうなれど(七〇土)、こら(九〇)えてこら(九〇)えて、マコト何処迄も貫きて下されよ。
とありますが、御三体の大神様を産み出す、もう一段上の無(七)、こらえると言っても、九(苦)から生み出す事から得て、さらに九(苦)から生み出す事から得て、マコト(〇九十)を何処迄も貫きて下されよ(三〇四)とあります。
三が道をしきまきや、から生み出してください。とあります。
行をしていきますと、この文面もそう悲観的にはならないようになっています。
ですが、行をしない方程、悲観的文面にしか判らないようになっているのです。
Ⅲ.マコトの生き神様が表に出る時へ
第十九帖 (二五五)
●マコトの生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手柄たてさして、神からあつく御礼申してよき世に致すのであるぞ、腹帯しっかり締めてくれよ。重ねて神が臣民殿にたのむぞよ、守護神殿にたのむぞよ。
マコトの生神様は、その時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手柄たてさして、神様からあつく御礼申してよき(四キ)世に致すのです。その時が近づいています。
腹帯(八、〇、七二、火)しっかりと締めてくれよ。とあります。
八からシチニの神様を生み出して下さい。とあります。
重ねて神様が、臣民殿にたのまれています。
守護神殿にたのまれています。
神様がたのまれている段階に入ってきています。
神様にも、愈々、以前に比べ、覚悟が入ってきている段階のようです。
もう、猶予が無い所に差し掛かってきています。
10.第八巻 磐戸(一八十)の巻 第二十帖 (二五六)
Ⅰ.神の道は大丈夫でも、日本臣民大丈夫とは言えない
第二十帖 (二五六)
●いくさ何時も勝と許りはかぎらんぞ、春まけとなるぞ、いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから、神の国の神の道は大丈夫であるなれど、日本臣民 大丈夫とは申されんぞ、その心の通りになること忘れるなよ、早うミタマ磨いてくれよ、
磐戸(一八十)の巻 は昭和19年末から20年の1月にかけて書かれたものですが、
あの二度の原爆では終わってゐなかったのが実際の所のようです。
春まけは、今の時空間でもその通りですが、あのまま、我欲の世界で進んでいますと、日本の臣民は大丈夫では済んでいなかったのでしょう。
その心の通りになるのです。
それは、今の世も同じです。
ウクライナ情勢、キタの三カ国からの有事は、まだまだ終わった訳ではありません。
神の国(九二)の神の道は大丈夫ですが、いざとなれば昔からの生き神様総出になるようです。
早うミタマ磨いてくれよ(九〇四)、は、もう何度も出て来てゐますが、一刻も早く、ミタマを磨いて下さい。
Ⅱ.どうすることも出来ないことになってからでは遅い
第二十帖 (二五六)
●も少し戦すすむと、これはどうしたことか、こんなはづではなかったなあと、どちらの臣民も見当とれん、どうすることも出来んことになると知らしてあろが、さうなってからでは遅いからそれ迄に、この神示よんで、その時にはどうするかと云ふこと判りて居らんと仕組成就せんぞ、
これは、現在の時空の昭和20年の世界には現れてゐない、と見ています。
書き換わって無くなったのでしょう。
戦が進みますと、こんあはづではなかった、とどうすることも出来んことになるようです。
実際、第二次世界大戦の終わりの辺りはその流れになっていたところもありますが、
そうなってからでは遅いのです。
その時にどうするか、と云ふこと判りて居らんと仕組が成就しない、とありますが、
それは、日々、しきまきや、から、土台を生み出して行く以外にないのです。
御自身の道を、御自身で産み出す以外にはないのです。
Ⅲ.御神示を、うら(ウ〇)の裏(ウ〇)まで肚に入れてください
第二十帖 (二五六)
●役員の大切の役目ざぞ、われの思いすてて了ふて早うこの神示、穴のあく程うらの裏まで肚に入れておいてくれよ、この神示の終りに、神強く頼むぞよ。
役員さんは、大切なお役割です。
われの思いすてて、早うこの御神示、穴(あ七)のあく程、うら(ウ〇)の裏(ウ〇)まで肚(八〇)に入れて下さい。
とあります。永劫の過去から、七、もう一段上の七を産み出し、生み出し有に現し、八(創造主)を新たに産み出してください。とあります。
文面の終わりに、また神様、強く頼むとあります。
神様の頼み事が、二帖続くのも、初めてではないか、と思います。
神様も、もう相当な覚悟を持っているのです。
もう猶予が無い、そういったマンデラ・エフェクトに変わってきています。
11.第八巻 磐戸(一八十)の巻 第二十一帖 (二五七)
Ⅰ.元のキの儘(まま)の魂にかへらんとならない
第二十一帖 (二五七)
●元の大和魂にかへれと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、神に心向ければ出来るのざぞ、どうしても今度は元のキの儘の魂にかへらんとならんのぞ、
元の大和魂にかへれ、と申すのは、今の臣民には、無理。と書かれています。
実際、我、から伝えている間は、無理なのでしょう。
ですが、無理であっても、神様に心向ければ、出来るようになっています。
それは、神様の申す通り、素直に行を進めて、御神示を読んで、しきまきや、を起こし続け、行じ、省み、洗濯、掃除、改心、を進めていけばよいのです。
どうしても今度は、元のキの儘(まま)の魂にかへらないとならないのです。
Ⅱ.みみ(御身)から知らすから、肚から肚へと伝へて下さい
第二十一帖 (二五七)
●かんじんの神示むやみに見せるではないぞ。仕組こわれるぞ、今に神示に書けないことも知らさなならんから、みみから知らすから、肚から肚へと伝へて呉れよ。
かんじんの御神示はむやみに見せないように、とあります。
仕組みがこわれるのです。
今の御神示に書けないことも知らさなならん、とあります。
みみから知らすから、肚から肚へと伝えて下さい。とあります。
みみ、とは、耳の方もあるかもしれません。
ですが、みみは、御身、の可能性がかなり高いと見ています。
一八(イハ)の巻でも、それが判ります。
みみ、に知らされている方は、身体の変化を取りて下さい。
私の場合は、右肩甲骨がはがされてきており、生まれてきた前の世界に繋がろうとしています。
この辺りは、御神示で書けない事です。
みみから知らされるので、みみ、に知らされている方、変化が起こっている方は、一度ご確認下さい。
Ⅲ.みみ(御身)を掃除してください
第二十一帖 (二五七)
●節分からははげしくなりて、はげしき神示はかかせんぞ。天明 神示の御用はこれでしばらく御用すみぞ、その代りみみ掃除しておいてくれよ。
節分からはげしくなったのは、実際、いつの年でも同じですが、2024年、来年もまたはげしくなるのでしょう。
はげしき御神示は、欠かせない、のが実際ですし、ですが、好転化するのであれば、書かせない。ようになるのでしょう。
それは、行を進め、みみに知らされている方には、判ると思います。
御神示の御用。しばらく御用すみ、の方もいるかもしれません。
その代わり、みみ(御身)を掃除(そ、ウ、事)してくれよ(九〇四)。
の段階に入っている所があります。
段階が来ている方は、みみ、の掃除を進めて行って下さい。
第八巻 磐戸(一八十)の巻 ②-3 まとめ
磐戸(一八十)の巻では、長文化だけでなく、覚悟が求められているマンデラ・エフェクト、を起こしています。
もう、猶予がそれ程残されていないのです。
それは、第十五巻 一八(イハ)の巻、にも書かれています。
今回は、第十五巻 一八(イハ)の巻も合わせてお読みください。
この他に、「みみ」「御身」「判らん」も、重要なキーフレーズ、です。
この辺りも調べて読んでみてください。
今現在、岩戸を開くに辺り、覚悟がかなり求められています。
心得よ、という文言も増えてきています。
今現在、御神示ではかかせない、みみ、のお知らせが入る段階に入ってきています。
みみ、のお知らせは、それぞれあると思いますが、是非とも、みみのお知らせを頼りに、行じ、この後の旧暦九月八日に向け、洗濯、掃除、改心を進めて行って下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、地の日月の大神様、五柱十柱の神々様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、御守護弥栄に御礼申し上げます。