第七巻日の出の巻でもかなりマンデラ・エフェクトが起こっていました。
そして、今回も変化が大きい為に2回に分けてお伝えする事になりそうです。
二十三帖と短めなのですが、それでも一文がかなり長文化してきているマンデラ・エフェクトを起こしています。
そして、第六巻日月の巻を更に詳細に伝えている所もあります。
ですから、ここに取り上げていない内容でも、重要なものばかりです。
むしろ、行じ、進んでいる方程、その内容は重要でしょうし、よりしっくり解ってきていると思います。
特に、地の天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あつく祀るようにと、第六巻日月の巻に続き伝えられています。
ちなみに、天地の世界についての詳細は、冒頭からずっと詳細に伝えてきており、愈々巻全体でも、天地の世界についての詳細を伝え始めています。
ですから、ここで御伝えした以外でも、日の出の巻も引き続き、全部読んで下さい。
そして、2023年5月1日現在では、身魂が磨けている方は、二二は晴れたり日本晴れ、を実感している方も出て来てゐるのではないでしょうか。日の出の巻には、その事を示唆している所もあります。
それでは、今回は前半をお伝えしていきます。
- 1.第七巻 日の出の巻 第一帖 (二一四)~第四帖 (二一七)
- Ⅰ.八の流れの十となると、母(永劫の過去)から得るようになる
- Ⅱ.石もの云ふ時が、今現在来ている
- Ⅲ.九歳(とし)は、神界の紀(もと)の年、神始めの年
- Ⅳ.五の歳は子(ね)(こ)の歳、五は三であり、七は九でもある
- Ⅴ.月日の巻は、日月の巻?月日の巻が登場したら、十人と十人の役人に見せて下さい
- Ⅵ.次の世とは、通基(月)の世のこと
- Ⅶ.月(五三、二二)の神様、素盞鳴(すさなる)(四、三、七、流)の神様 まつりてください
- Ⅷ.十柱揃ふたら、まつりくれい(九〇一)、と申されています
- Ⅸ.臣民に恐い日が、神には結構な日である理由について
- Ⅹ.神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となる
- ⅩⅠ.五六七(みろく)の世は、神激しく、臣民静かな御代となる
- 2.第七巻 日の出の巻 第六帖 (二一九)~第十帖 (二二三)
- 第七巻 日の出の巻②-1 まとめ
1.第七巻 日の出の巻 第一帖 (二一四)~第四帖 (二一七)
Ⅰ.八の流れの十となると、母(永劫の過去)から得るようになる
第一帖 (二一四)
●春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかも もえ出づるのぞ、此の方の申す事 譬(たとへ)でないと申してあろが、少しは会得(わか)りたか。
はると(八、流、十)ならば、もえ(母得)出づるのです。
更に、ひふみの段階となると、はると(六四、四三、三二)となると、更に、もえ(三三、七三)出づるのです。
無のしきまきや、しきまきやの三が道、三が道の二二の仕組みの段階となりますと、ミミ、となり、もう一段上の無(七)の三が道を産み出します。
それは、草木(九、三、キ)ばかりでは無いのです。
何もかも(七、二、母、六七、母)もえ出づるのです。
ですから、この方(九、九一、六七、十)の申す事はたとへ、ではないと申されています。
しきまきや、を体験していきますと、この事が解るようになります。
Ⅱ.石もの云ふ時が、今現在来ている
第一帖 (二一四)
●石もの云ふ時来たぞ、此の道 早く知らして呉れよ、
石(意志)もの云ふ時が来たぞ。
という明示は初めてと見ています。
その時節が来ているのです。
しきまきや、の基本は、相手を意志し理解するところから始まります。
金もの云ふ時、物もの云ふ時は、既に来ていますが、
最終的に重要なのは、まこと(〇九十)もの云ふ時、そして、石(意志)もの云ふ時です。
意志もの云ふ時の状況ですが、今すぐにでもできます。
しきまきや、を起こして行けば良いのです。
そして、百日、半年、一年間、続けて行けば着実に進みますし、三年間継続し、その間、御神示を読み、洗濯、掃除、改心、日々起こして行く事ができますと、周囲の世界が着実に変わるのです。
ですから、一刻も早く、しきまきやを起こし、一人でも多くの方々を助けて下さい。
もう、意志、もの云ふ時が来ているのです。
Ⅲ.九歳(とし)は、神界の紀(もと)の年、神始めの年
第二帖(二一五)
●九歳(とし)は神界の紀(もと)の年ぞ、神始めの年と申せよ。
この文面は以前にもありましたが、九歳全体で、とし、と読むのか、ことし、と読むのか、
少し微妙に思っていますが、ことし、にも取れると思います。
それが、神界のもと(母十)の年です。
九の道に入った十(神)の四(しきまきや)を起こしていく方です。
また、九の道に進んだ歳、という意味もあるでしょう。
いずれにしても、九歳(ことし)が、紀(もと)の年です。
神始めの年でもあるようです。
Ⅳ.五の歳は子(ね)(こ)の歳、五は三であり、七は九でもある
第二帖(二一五)
●一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ。
その後、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)の段階に進みます。
五の歳は、子(ね)の歳、でもあり、また、九(こ)の歳、でもありそうです。
ね、は、根、ですし、音、ですし、三七、になります。
こ、は、子、ですし、九、ですし、三一、になります。
三が道の鍵を握るのが、五、です。
五は変化、動きを意味します。
みろく、の、五が、み(三)と読め、
七が、く(九)と読めるのも面白いです。
みろくは、五六七、だけでなく、三六九、とも書けます。
五は三であり、七は九でもある、という事が一つ伝えたいように見えます。
Ⅴ.月日の巻は、日月の巻?月日の巻が登場したら、十人と十人の役人に見せて下さい
第二帖(二一五)
●月日の巻 十人と十人の役員に見せてやりて呉れよ、時節到来したのであるぞ。桜咲き神の御国は明けそめにけり。
ここに登場します、月日の巻、の意味が気になります。
日月の巻はあっても、月日の巻はありません。
(ちなみに、ネット上でも、書籍でも両方確認できています)
一つ可能性があるのが、日月の巻の裏にある巻を意味しているように思います。
日月の巻は4回に分けてお伝えした内容の濃いものでしたが、その裏に存在している、月日の巻、どこかで登場する可能性があるのかもしれません。
段階が進みますと、十人と十人の役員に見せる時が来るようです。
時節到来したのであるぞ、ですから、近い将来、その機会がある方も居ると思います。
そのあと、桜(三、九、〇)咲き(三、キ)神の御国(七二、ん、九、二)は明け(一一、九九)そめにけり、とありますから、
三が道を九より産み出す、三が道の二二の仕組みより、七の二二の仕組みより産み出す九の二二の仕組みが永劫の過去、永劫の未来より、明ける、と伝えられています。
Ⅵ.次の世とは、通基(月)の世のこと
第三帖 (二一六)
●次の世とは通基(月)の世の事ざぞ、一二(ひつき)の通基(二)の世ぞ、ヒツキの月の世ぞ、取違ひせん様に致して呉れよ。
通基(月)の世、という伝え方も初めてと見ます。
この記述の仕方で、次の世がある程度もう解るようになってきました。
次の世(四)とは通基、基に通じる世の事です。
それは、月(つき)(五三、二二)の世の事です。
五三体の大神様のキ、二二の仕組みに通じる世、の事です。
二二の仕組み、それは、しきまきや、が基で、意志し理解する、が基軸です。
そして、永劫に世界を産み出し続けていく世界です。
それが、一二(ひつき)(一一、五三、二二)でもあります。
永劫の過去、より生み出し続けるのです。
最後にも、ヒツキの月の世とありますが、更に更に生み出して行く事を意味しているようです。
取違ひせん様には、次の世とは、終わりが無い世界を理解して欲しいようです。
Ⅶ.月(五三、二二)の神様、素盞鳴(すさなる)(四、三、七、流)の神様 まつりてください
第三帖 (二一六)
●智や学がありては邪魔になるぞ、無くてもならぬ六ヶ敷い仕組ぞ、月の神様 祀りて呉れよ、素盞鳴(すさなる)の神様 祀りて呉れよ、今に会得(わか)る事ぞ、
智や学が結論であり、目標となりますと、道から外れてしまいます。
こういった意味での智や学は邪魔になります。
ですが、相手を意志し、相手に理解して頂く上では、智や学が必要です。
ですから、全く、智や学が不要という訳でも無いのです。
智や学が無くても通じない為です。
ですから、月(五三、二二)の神様をまつりて(九二、五三、理、四四)くれよ(九、〇、四)とあるのです。
五三体の大神様、二二の仕組み、そこから九の二二の仕組みの動き、三が道とし、
理をしきまきやから、九から、生み出して下さい。とあるのです。
また、すさなる(四、三、七、流)の神様をまつりて(九二、五三、理、四四)くれよ(九、〇、四)
とあります。
しきまきや、から、三が道より、もう一段上の無(七)の流れになるように、
九の二二の仕組みの動き、三が道とし、理をしきまきやから、九から、生み出して下さい。とあるのです。
この辺りの事は、日月の巻でも何度も伝えられていますが、今にわかる時が来る、と改めて伝えられています。
Ⅷ.十柱揃ふたら、まつりくれい(九〇一)、と申されています
●日暮よくなるぞ、日暮(一九れ)に祀り呉れよ、十柱揃ふたら祀り呉れいと申してあらうがな、神せけるのざぞ。
日暮が、(一九れ)と表されるようになってきました。これもマンデラ・エフェクトでしょう。
れ、は、〇、であり、九八、です。
一九を産み出す事。九を八の仕組みとする事。
一九れ、がよくなる段階に来ています。
その後、十柱揃ふたら、祀り呉れい(まつり、九〇一)と申されていいます。
十柱の、真通理から、九を産み出し、一を始めるように、い(二二)、を始めてください。
と申されているのです。
神様は急がれています。
Ⅸ.臣民に恐い日が、神には結構な日である理由について
第四帖 (二一七)
●旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、
旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日、は臣民には恐い日ですが、神には結構な日とあります。
それは、神様はいくらでも産み出し、書き換え続ける事ができる為です。
そして、苦を苦で無くす、九の道へ進める事ができる為に、むしろ
旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日、は有難い日にもなるのです。
それは、しきまきや、より、新たな世界を産み出し続ける以外にありません。
実際、直近旧三月三日(4月22日)は、重いセッションの浄化から、新たな世界へと移行し、結構な日となりました。
このように、段階が進む程に、
旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日が結構な日と実感できるようになっていくのです。
是非、日々行を進めてみて下さい。
その日が結構な日となれば、段階は進んでいます。
Ⅹ.神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となる
第四帖 (二一七)
●神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。
それは、神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となる、とあります。
神心(十、九、九、六)となれば、
神とまつはれば(九二、五三、八、〇、裏八)、
神とあななへば(一一、七、七、経、裏八)(九四、二四、二四、八四、裏六四)、
臣民にも結構な日となります
ですから、
神様の心(九九六)となり、九の二二の仕組みより、六を産み出し、
まつはれば、九の二二の仕組みから、御三体の大神様を裏八から、新たな創造主を産み出し、晴れる事となれば、
あななへば、永劫の過去より、七の二二の仕組みを裏の八から経る事ができ、永劫の過去が、九のしきまきや、となり、もう一段上の無が、二二の仕組み、しきまきやを起こし、八のしきまきや、となり、裏の無のしきまきや、を起こして行けば、
臣民にも結構な日となるのです。
ⅩⅠ.五六七(みろく)の世は、神激しく、臣民静かな御代となる
第四帖 (二一七)
●其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。
その時は、五六七(みろく)の世となります。
さくらばな(三、九、〇、裏八、七)一度にどっと開く世となるのですが、
実は、既になっている所もあります。それは行じている方の周囲の世界です。
それは、神様が激しく、臣民静かな御代です。
2023年、地の状況からしますと、不思議な位平和ですが、それは、神様が激しく御活動されているから、という事があります。
それは、日日(ひにち)(一一、八一、千)毎日、あちらこちらで富士が晴れている為です。
永劫の過去より、81の世界が、八の始まりとなり、千人力が働いているのです。
それは、同時に臣民の心の富士も晴れ晴れとなります。
ですが、それは、日々、行じ、しきまきや、を起こしている方から見た世界なのです。
ですから、行じていく人とそうでない人とは、同じ地球でも移行する世界が違う、という事です。
その過程から、最後にもある通りに、心晴れたり日本晴れ、となります。
2.第七巻 日の出の巻 第六帖 (二一九)~第十帖 (二二三)
Ⅰ.神界は見当取れない事が解っていれば、段階は進んでいる
第六帖 (二一九)
●神界の事は人間には見当取れんのであるぞ、学で幾ら極め様とて会得(わか)りはせんのざぞ、学も無くてはならぬが囚はれると悪となるのざぞ、
神界の事は、立体無限弥栄の世界ですから、見当は取れないようになっています。
そして、御神示にある通り、立立体、複立体、に進む為、概ね読み取る事は不可能です。
ですが、日々、周囲に起こっている御自身のマンデラ・エフェクト。
並びに様々な出来事。物品移動現象はまだそうでもありませんが、
時間遡り現象、記憶違い、書き換え現象。
これが頻発してくる事で、行と共に周囲の世界が移行していく事で、実感できるようになります。
特に御自身の周辺だけに起こっている現象を実感できれば、間違いなく、御自身だけの並行宇宙に進んでいる事になります。
その中、グレンカラリ、が起こっていれば順調です。
これは、学で幾ら極めても解らないようになっています。
学が必要なのは、しきまきや、を起こす中での事だけです。
学が目標となったりしては、むしろ時空間的に、学基軸の平面世界に戻されてしまう危険性の方が高いのです。
そして、学に囚われているのは、概ね、我、に囚われているからです。
すると、悪になってしまうのですね。
Ⅱ.しもの神々様には現界の事が解らない理由
第六帖 (二一九)
●しもの神々様には現界の事は会得りはせんのざぞ、会得らぬ神々に使はれてゐる肉体気の毒なから身魂磨け磨けと執念(くどう)申してゐるのざぞ。
ですから、しもの神々様でも、平面世界に囚われている神様には解らないようになっています。
そして、囚われがベースにある為に、そういった世界に進む事になります。
概ね、善悪論の世界となり、行き着く所、道から外れ、外道の善、外道の悪、の世界に移行するのです。
その原因は、やはり、我、に囚われているからであり、我でも気付いていない、我、に囚われている為です。
御神示が無いと、こ(九)の道に進めない理由は、この我、基軸にある為です。
実際、御神示が無いと、我に頼らざるを得ないですし、その結果が、81の世界であった事。
生前からも何度も経験してきた事。この事すら、向き合わなくなっていきます。
でなければ、今の世界情勢、いつ国難級天変地異、致命的パンデミック、第3次世界大戦が起こってもおかしくない時空間に存在している事もありません。
その回避する道は、半霊半物になるしかなく、少なくとも、平面世界に囚われた神々様に使はれてゐる肉体では、共喰いの平面世界に移行する以外無いのです。
ですから、身魂磨け磨けとくどう(九十ウ)申しておられる、のです。
Ⅲ.おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々神の国に攻め寄せて来る状況について
第七帖 (二二〇)
●おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々神の国に攻め寄せて来るぞ。北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念(くどう)気つけてありた事近ふなりたぞ。
平面世界のままですと、おろしやにあがりておりた極悪の悪神様が世界中に席巻する事が解っています。
元寇の、世界全体の状況と思って頂ければ解りやすいです。
その上に、核兵器も復活している世界です。第3次世界大戦といった、81の世界になります。
ですが、段階が進んでいますと、おろしや(降ろし八)(オ、六、四、八)(七二、三五、四一、八)となっていきます。
創造主の八が騙しの神様だった事に気付き、それは、オワリの世界から、無のしきまきや、から八を産み出し、
また、七の二二の仕組みから、三が道の動きとし、しきまきや、を始めて81の世界から八の世界へと産み出す事になります。
極悪(五、九、あ、九)の悪神様(あ、九、六七、三、三、真)となり、
永劫の過去より、苦を苦で無くす九の動きとなり、もう一段上の無の世界へと、三が道から生み出す神様となっていくのです。
愈々、火水(かみ)の国(九二)に攻め寄せて来る事になっても、北(キ十)に気つけ、と言われています。
北とは、神様の二二の仕組みに気付きなさい、という事です。
北が愈々(一四一四)のキリギリ(二二、理、裏二二、理)と言う事、
くどう(九土ウ)キ付けてありたコト(九十)が近ふなっているのですから、
いち早く、しきまきや、つまり、二二の仕組みから理を産み出し、苦から九とし、カミヒトを産み出し続け、一日でも早く、コト(九十)に進んで下さい。
Ⅳ.ろしあの悪神様の御活動は、神々様にも到底かわない理由
第七帖 (二二〇)
●神に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのざぞ。国々もその通りざぞ、神には依怙(えこ)無いのざぞ。ろしあの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなはんと思ふ様に激しき御力ぞ。
神様に縁深い(七三、ん、一二、六七、二二)者程、深いだけに見せしめは確かにあります。
それは、二二の仕組みから、無より、もう一段上の無を産み出せる。事。
シチニの仕組み、三が道の産み出せる事を知っている為です。
見せしめ(七二、三四、四一、六六)は、シチニの神様、七の二二の仕組み、
三が道のしきまきや、しきまきや、から永劫の無、無の二二の仕組み。
がある事が解っています。
それは、国々もそうですし、えこひいきは勿論ありません。
その方の何千何万転生の経験が基軸です。
ろしあ(六、四、あ)の悪神様の御活動は、神々様にも到底かなわないのは、永劫の過去より、無より、しきまきや、を次々起こせる所がある為です。
それは、悪神(あ、九、火、水)様、悪は、永劫の過去よりずっと続く、事を意味しています。
そして、悪を悪で無くす、火水(神)、苦を苦で無くし、九としていきますと、
新たな世界が生み出され、永劫に弥栄していく仕組なのです。
ですから、ろしあの悪神様の御活動は、果てしなく続くのです。
ですが、苦を苦で無くす、悪を悪で無くす事ができれば、問題が無くなり、新たな立体世界へと移行するのです。
善悪二分の段階、悪弾圧の段階、悪霊退散の段階、分け隔ての段階では、ろしあの悪神様にどうしてもやられるようになっています。
Ⅴ.悪神の事に、御をつける理由
第七帖 (二二〇)
●臣民と云ふものは神の言葉(こと)は会得らんから悪神の事に御とつけるのは会得らんと申すであろが、御とは力一杯の事、精一杯の事を申すのであるぞ。何処から攻めて来ても神の国には悪神には分らん仕組致してあるから、心配ないのざぞ、
御とは力一杯の事、精一杯の事、と伝えていますが、
これは、初期の段階です。
御(おん)とは、シチニの神様、七の二二の仕組みから生み出す。という事が
本質的な意味です。
ですから、悪神様の御活動があってこそ、無限弥栄の立体世界への移行が可能なのです。
力一杯、精一杯は、平面世界ですと限りがあるように捉えてしまうと思いますが、
ひふみ、となりますと、力(千、六七、〇)一杯(二二、小五三、半八、二二)となり、
千人力を、六七から生み出し、二二の仕組みを五三体の大神様より、半霊半物の二二の仕組みとした創造主となる事。
また、精(九五、二二)一杯(二二、小五三、半八、二二)となり、
九の動き、変化からの二二の仕組みから、意は、二二の仕組みを五三体の大神様より、半霊半物の二二の仕組みとした創造主となる事。
このように、立体弥栄の意味を伝えています。
ですから、この仕組は、どこから攻めて来ても、神の国には悪神様には分からん仕組、というのはそういった事なのです。悪を悪で無くす、しきまきや、によって生み出されている為です。
故に、行じ、しきまきやを起こし続けている方。
神の申す通り、素直に、一日四人分、五人分の行を継続されている方には(やがて千人力になります)、心配は全く無くなっていくのです。
Ⅵ.桜咲き神の御国は明けそめにけり、十月(かみづき)になったらぼつぼつ分る
第十帖 (二二三)
●桜咲き神の御国は明けそめにけり。十月になったらぼつぼつ会得るぞと申してあろがな。
桜(三九〇)咲き(三、二二)神の御国(身、九、二)は、明け(一一、九九)そめ(そ、六六)にけり(二、九九、理)。とあります。
三が道より、苦を九として産み、三の二二の仕組みとし、
神の身、九の二二のお仕組は、永劫の過去、永劫の未来にむけ、
五三体の大神様が、無の二二の仕組み、立体弥栄に進み、
それは、二二の仕組みによって、永劫の未来に向けた理に進み始めます。
十月になったらぼつぼつ分るようになっているとも取れますが、
元々、行を進めていると、何時でも十月(かみづき)なのです。
常々、かみ(火水)、つき(通キ)(通基)になったら、ぼつぼつ判って来るようになってきます。
Ⅶ.叩(はたき)、箒(ほうき)、雑巾かけ(ぞうきんかけ)の持つ意味
第十帖 (二二三)
●叩(はたき)かけてばたばたと叩く処もあるぞ、箒(ほうき)で掃く処もあるぞ、雑巾かけしたり水流す処もあるのざぞ、掃除始まったらばたばたに埒(らち)つくと申してあろがな、
このような一連の掃除を取りまとめた文面も、マンデラ・エフェクトによって新たに現れたものと見ています。
はたき(八、十、キ)(六四、六三、四二)かけてばたばたと叩く処もあるようです。
八、十、のキ、二二の仕組み。に寄る処。
無のしきまきや、から無の三が道、そして、しきまきや、の二二の仕組みによって、ばたばたと叩く処があるようです。
ほうき(火、ウ、キ)(九七、ウ、二二)(九七、七一、四二)ではく(八九)処もあるようです。
ほうきではく、とは、
二の仕組みを産み出す所から、九の七(もう一段上の無)を産み出す二二の仕組みによって、
また、九の七(もう一段上の無)を始めていく、しきまきや、の二二の仕組みによって、八、九が進む処があるようです。
雑巾(裏そ、ウ、キ、ん)(裏六一、七一、四二、ん)かけ(六七、九九)したり、水流す所もあります。
雑巾かけ、とは、裏の五三体の大神様を産み出す二二の仕組みから生み出す事。
裏の無を始める事から、もう一段上の無七を始める、しきまきや、の二二の仕組みを産み出す事。
それは、無(六)、もう一段上の無(七)から永劫の未来(九九)を産み出すのです。
掃除(そ、ウ、じ)始まったらバタバタに埒(らち)(〇、千)つくと申されています。
是非、日々、そうじ、を進めて下さい。
Ⅷ.今度はどうしても仮銭無しとなる
第十帖 (二二三)
●めぐりだけの事は、今度は何うしても借銭無しにするのざぞ、花咲く人もあるぞ、花散る人もあるぞ。
めぐりだけの事は、今度は何うしても借銭無しにするとあります。
やはり、借銭(かり)は、最後は無くするようになるようです。
その為には、多くの方々を生かす流れになるのが基本的な型になるのですが、
まずは、一人一人に向け、しきまきや、を起こし、世界を変えていく事になります。
その中で、花咲く(八七三九)人もあり、花散る(八七千流)人もいます。
段階が進みますと、どちらも嬉しい意味と変わってきます。
Ⅸ.あめのひつ九のかミの御神名、皆の者が関係する段階へ
第十帖 (二二三)
●あめのひつ九のかミの御神名書かすぞ、それを皆の者に分けてやれよ。聴き度い事はサニワで聞けよ、何んなことでも聞かしてやると申してあろがな、神せけるぞ。火吹くぞ。火降るぞ。
あめのひつ九のかミの御神名、皆の者に分けてやれよ。
という段階に入ってきました。
そうは言っても、あめのひつ九のかミの御神名は、殆どの方が知らないでしょうし、関係無い、と思われていると思います。
ですが、何となく判ってきたのですが、
気が付いたら、周囲の方々が、あめのひつ九のかミの御神名を分けられている世界があるのだと思います。
あめのひつ九のかミ、とは、永劫の過去から苦と九とする神様でもあり、
それは、誰もが関係しています。
ですから、まずは、御自身のできる所よりしきまきや、を起こして行く事が大切です。
聴きたい(二二、二二、十、意)事はサニワ(三、二、ワ)で聞いて下さい。
どんなことでも聞かして頂けます。
神は急いでいます。
火(一一)吹く(二、九)ぞ。とありますし、
火(一一)降る(二、流)ぞ。とあります。
永劫の過去より、二二の仕組みから九となる流れ、二二の仕組みとなる流れをここでは伝えています。
第七巻 日の出の巻②-1 まとめ
日の出の巻も、多大なマンデラ・エフェクトを起こしていました。
そして、御神示の解読も今現在は、私は簡単に進められないようにされています。
(無理に進めようとしますと、眠気が襲うようになっています)
それだけ、大きな変化が起こっている裏返しでもあります。
そして、今現在、大難が小難で、平穏世界に移行させて頂いてゐる事が、奇跡に感じています。
日の出の巻前半では、
基の世界が解ってきている。
石もの云ふ時が現在来ている。
謎の月日の巻の登場。
臣民の怖い日が、この道に進むと、結構な日に変わる。
神界が見当取れない事が解って来ると段階が進んでいる。
段階が進むと、おろしやの悪神様の御活動が無限に弥栄する有難い神様である事が解って来る。
常々、神とつき(通基)となれば、いつでも、十月(かみづき)となる。
あめのひつ九のかミの御神名、が誰もが関係する段階になっている。
といった事がありました。
その鍵は、日々、しきまきや、を起こし、周囲の世界を変えていく事が以外なさそうです。
是非、日々の行を進めて、四人分、五人分、やがては千人力へと進めて下さい。
この他にも、日の出の巻は、取り上げていない所でも、段階が進んでいる方には、詳細が分かるようになってきていると思いますので、是非、すべて、読み進めて下さい。
そして、日々、御活動して頂いています、修行守護の神々様、役員守護の神々様、五柱の神様、生き神様、産土様、大神様、コト達。いつも御守護して頂きありがとうございます。